「庖丁之言」とは?
包丁の語源から取っている「包丁のこと」
包丁のいろはをまとめたこのサイトのタイトルは、「包丁のこと」とあります。「包丁」の語源は紀元前300年頃の中国の思想家、荘子の文章、「養生主」の一節にあると言われており、堺一文字光秀初代からとても大切にしている言葉でもあります。ここからタイトルをお借りしました。
ちなみに「庖丁」という言葉は中国語では料理人や鍛冶屋さんなど、日本で言う「包丁を扱う人」のことを指し、日本語の意味での包丁は中国では菜刀と言います。
日本での「包丁」という言葉の語源となったその物語は、さすが名思想家による説話と言いますか、今の時代においても非常に示唆に富む内容になっています。その話の内容はこうです。
庖丁之言のあらすじ
あるところに、文恵君という王様がいました。ある日、庖丁(料理人)が文恵君の前で、牛を解体する機会がありました。牛を解体している様子はあまりにも見事で、まるで音楽を奏でているかのようでした。文恵君は包丁に言います。「見事だ。技を極めると、ここまでできるものか」と。
それに対して包丁は言います。「私が志しているのは『技』ではなく『道』といえるものです。この仕事を始めて3年で、牛の全体像でなく細かな仕組みや動きが見えるようになりました。今は牛を形でなく、心で捉えています。血の流れや肉の動きがわかるようになれば、刃は自然とすすむものです。
良い料理人でも筋を切るので、1年で包丁を取り替えます。普通の料理人は骨を切ろうとするので、1ヶ月で刃がだめになります。この包丁は刃先がとても鋭く、薄いので骨や筋の間を通すことができます。こう使うことで、今も私の包丁は砥石で研いだばかりのような鋭さです。」
これを聞いて文恵君は言います。「とても良いことを聞いた。今の話は人の生き方にも通ずるものだ。」と。
我々がこの話を大切にしている理由
大事にしたい価値観が示されている
要は「感覚を研ぎ澄ましてものごとを見極めること、流れを見極めて逆らわないこと」の大切さを説くお話です。2300年も前の話なのに、今でも通ずる考え方ですね。我々がこの話を大事にして、タイトルにまでお借りしている理由はそれだけではありません。
良い包丁のあるべき姿と、使い方がしっかりと描かれている
庖丁は彼の使う牛刀を、「刃先が非常に薄いため、関節の中でさえ使いこなすのに十分なゆとりがある」
と評しています。(彼節者有間,而刀刃者無厚;以無厚入有間)
これはまさに良い包丁を使うメリットそのものです。
ある和食店の大将が、
「切れ味が良くなくても切ることはできるが、自由度は全然違う。例えば魚の切り身をする時だって、筋肉に沿って切るのと、筋肉を垂直に切るのは全然口当たりも歯ごたえも違うけど、切れ味が良くない包丁は筋に沿って切るしかできない。意図する舌触りや形状を作るためには繊細な動きが必要で、それは良い切れ味の包丁にしかなし得ない」
と言ってくださったことがあります。切れ味が良い包丁は刃先の薄さが大切で、料理人の切り方に自由度を与えるのです。
また、「普通の料理人は骨を切って1ヶ月で包丁をだめにしてしまう。(族庖月更刀,折也)」という一文もあります。もちろん硬いものを切る場面は多くあり、そのために包丁を使わないといけません。
ただ魚の骨の間にうまく刃をすべらせたり、まな板になるべく強く当たらないように使うことで、その寿命を何倍も伸ばすことができるのもまた事実です。
2300年も前のたった数節の文章でも、良い包丁のあるべき姿と、その使い方の本質が示されておりその原則は今も変わっていません。これが我々がこの故事を大切にする1つ目の理由です。
料理人に学ぶ姿勢
この庖丁という料理人は伝説的な料理人とされており、また文恵君と違ってもちろん我々は王様ではありません(当たり前ですが)。
ですが、この文恵君と全く同じことを続けていることがあるとすれば、料理人に深く学ぶという姿勢です。
我々の扱う包丁は,アクセサリーでも骨董品でも便利グッズでもありません。道具です。使い方は使い手の数だけあり、使い方によって実力は0にも100にもなります。「製品」は使い手に関わらず実力を発揮する物。ご家庭の炊飯器や誰でも運転しやすく経済的なエコカーは製品です。
「道具」は、使い手の実力を引き出す物です。野球選手にとってのグローブや、同じ車でも運転手の実力を最大限まで引き出すことを目的に設計されたF1カーは、道具と言えるでしょう。
奇しくもこのお話に出てくる「庖丁」は、「技」でなく「道」を極めようとしていると言いました。道を極めるために必要なもの、まさに「道」具が彼の持つ牛刀ということになります。
つまり道具とは、使い手がいて始めて価値が生まれる物なのです。当然使い手の意見なくして、良い道具はありえません。こちらの考え方を押し付けるのではなく、料理人の言葉に耳を傾け、すぐさま自らと照らし合わせ取り入れる文恵君の柔軟な姿勢は、我々が目指す姿そのものと言えます。
まとめ
文惠君曰、善哉。吾聞庖丁之言、得養生焉。
堺一文字光秀初代、久香の代から非常に大事にしている故事であり、今も初代がしたためたその書は店頭に飾らせて頂いております。
これまで我々がこの道具屋筋で、創業以来たくさんの料理人から頂いてきた包丁に関わるアドバイスやヒント、考え方は上方、ひいては日本の料理文化そのものです。これを皆様に知って頂きたい、次の時代につないでいきたい、という思いを、「庖丁之言」=「包丁のこと」というタイトルに込めさせて頂きました。
著者紹介About the author
堺一文字光秀
田中諒
「切れ味で、つなぐ」堺一文字光秀三代目当主。 職人の技術と歴史、そして包丁にかける思いを皆様に届けて参ります。 辻調理師専門学校 非常勤講師 朝日新聞社 ツギノジダイ ライター
- 監修
- 一文字厨器株式会社(堺一文字光秀)