歴史

世界における包丁の歴史

オルドワン石器
250万年~2万年前までに使用されたオルドワン石器のスケッチ

原始時代、人類の祖先が先を尖らせたやじりで獣を仕留め、その皮を剥ぐためや、硬い木の実を砕くのに一方を握りやすく、一方を尖くしたのが包丁の原型です。それが現状見つかっている世界最古の道具でもあります。

今も研究が進んでいますが、1960年にアフリカのタンザニアで発見された180万年前の打製石器が確認されている最古の道具であり、包丁の原型です。

発見者のリーキー博士は、その人類の祖先をホモ・ハビリス(道具を使う人)と名付けました。

手で使う道具、利器を作り、それを使えるかどうかというのは、学者さん達の間では人かそうでないかを分ける大きなポイントになっているようです。

改めて考えると、180万年も前から今日に至るまで、「包丁を使い、食材を切り分け、子供に食べさせる」という営みは一度も途切れたことが無いのです。

自分の親やひいおじいさんくらいまでの世代では(もちろん親でなく他の人が代わりにやることもあったでしょうが)包丁を使って子供にごはんを食べさせていたというのもなんとなく想像できます。

しかし180万年遡るとなると気が遠くなりますね。

もちろんご自分用でも良いですが、ちゃんと手入れすれば子供や孫の代も使える包丁。何しろ180万年前から使われているのですから、電化製品とは訳が違います。少し背伸びして高級な包丁を選んでみても良いかも知れませんね。

包丁の語源

庖丁之言の一節

「包丁」の語源は紀元前300年頃の中国の思想家、荘子の文章、「養生主」の一節にあると言われており、堺一文字光秀初代からとても大切にしている言葉でもあります。包丁の知識を詰め込んだこのサイト、「包丁のこと」もここからタイトルをお借りしました

現在では常用漢字で構成する「包丁」という表記が一般的ですが、古くは庖丁と呼ばれ、今もその書き方をする包丁屋さんも珍しくありません。

「庖」とはくりや、つまり台所の意味で、「丁」は使用人、「庖丁」という言葉は中国語では料理人、日本で言う「包丁を扱う人」のことを指し、日本語の意味での包丁は中国では菜刀と言います。

現在使われる意味で言う「包丁」はしばらくは「庖丁刀」つまり「庖丁が使う刀」と呼ばれていました。

なお日本で料理に使う刃物を「庖丁」と呼ぶようになったのは奈良時代~平安時代のことで、平安時代後期の今昔物語集では既に庖丁刀として「庖丁」という言葉が出て来ます。

日本での「包丁」という言葉の語源となったその物語は、さすが名思想家による説話と言いますか、今の時代においても非常に示唆に富む内容になっています。その話の内容はこうです。

庖丁之言のあらすじ

あるところに、文恵君という王様がいました。ある日、庖丁(料理人)が文恵君の前で、牛を解体する機会がありました。牛を解体している様子はあまりにも見事で、まるで音楽を奏でているかのようでした。文恵君は包丁に言います。「見事だ。技を極めると、ここまでできるものか」と。

それに対して包丁は言います。「私が志しているのは『技』ではなく『道』といえるものです。この仕事を始めて3年で、牛の全体像でなく細かな仕組みや動きが見えるようになりました。今は牛を形でなく、心で捉えています。血の流れや肉の動きがわかるようになれば、刃は自然とすすむものです

良い料理人でも筋を切るので、1年で包丁を取り替えます。普通の料理人は骨を切ろうとするので、1ヶ月で刃がだめになります。この包丁は刃先がとても鋭く、薄いので骨や筋の間を通すことができます。こう使うことで、今も私の包丁は砥石で研いだばかりのような鋭さです。」

これを聞いて文恵君は言います。「とても良いことを聞いた。今の話は人の生き方にも通ずるものだ。」と

我々にとってこの説話は、「包丁の語源となった話である」という以上の意味を持ちます。

詳しくはこちらで語らせて頂いておりますので、ご興味有る方は是非ご一読ください。

包丁と日本刀

包丁と日本刀は切っても切り離せない関係にあります。

平安時代末期から戦国時代に刀が大きく発展し、武器としては勿論武家が将軍として国を統治した時代において、刀とは身分や精神性を表現した武器以上の存在になっていきます。

しかし徳川家が日本を統治することで戦乱の世は終わりを告げ、反乱の火種となり得る刀剣製造技術は全国的に取り締まられるようになりました。

各地の刀工は生活に密着した刃物に生産を切り替え、そのルーツが各地に残り今も包丁の生産地になっています。

著者紹介About the author

堺一文字光秀

田中諒

「切れ味で、つなぐ」堺一文字光秀三代目当主。 職人の技術と歴史、そして包丁にかける思いを皆様に届けて参ります。 辻調理師専門学校 非常勤講師 朝日新聞社 ツギノジダイ ライター

監修
一文字厨器株式会社(堺一文字光秀)
〒542-0075 大阪府 大阪市中央区難波千日前 14-8