ステンレスの包丁について
錆びやすいという鋼の欠点を補うべく、研究が重ねられてきたステンレス。
現在もその研究は発展を続けており錆への耐性のほか様々な特徴を持つ素材が生まれています。
包丁に使われるステンレスについて、伝統の包丁ブランド、堺一文字光秀が語ります。
ステンレス包丁ってどんな包丁?
ステンレスと呼ばれる鋼材にはちゃんとした基準があります。
「クローム(Cr)を10.5%以上含有すること」です。
これによりStain(ステン・錆び)-less(レス・にくい)鋼材になるというわけです。
空気に含まれる酸素と鉄が結びついて酸化鉄(錆び)になるのですが、
Crは鉄の前に酸素と結びつくので、酸化鉄が作られにくいのです。
※あくまで錆びにくい、ということで決して錆びないというわけではありませんのでご注意ください。
今ではご家庭用、西洋含む世界中の包丁に利用されています。
詳しい説明を省いてステンレスの鋼材ごとの特色だけ手っ取り早く知りたい方はこちらをどうぞ。
ステンレス包丁のメリット・デメリット
ステンレス包丁はなんといっても錆びのケアに対する手間が大幅に省けます。
かと言ってステンレス一択、というわけでもありません。
素材にクローム(Cr)やモリブデン(Mo)など、摩耗しにくい素材を入れる分炭素鋼の素直(研ぎやすく良い刃がつけやすい)な特性が失われ、またステンレスを構成する成分にはレアメタルが含まれるため、鋼と比較するとどうしても素材自体の値段が上がってしまいます。
包丁の機能性上の良し悪しは切れ味/バランス/メンテナンス性によって決まります。
参考にしてみてください。
良い包丁の定義、考え方については下記の記事を参考になさってください。
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錆びに強い
メンテナンス性という側面から見ると、錆びに強いというのは大きなメリットです。
包丁の錆び=酸化鉄はもろく食材に入ってしまうことさえあります。
※錆びのケアについてはこちらの記事も参考になさってください。
和食の料理人が切るたびにしっかりふきんで拭く所作があります。これは癖のように包丁を拭く所作を身に着けないと切ったそばから包丁が錆びていってしまう為です。
師匠から鋼の包丁を借りたり、受け継いだりするようなケースも多いので、この所作は身につけておきたいところです。
席数が多い料理店ではそもそも錆びのケアがしきれないということもあります。その場合はおのずとステンレス包丁を選ぶことになります。
反面デメリットの価格面ですが、クローム(Cr)を添加するだけでは製造工程上脆くなってしまうため、モリブデンやバナジウムを添加せざるを得ません。そういった素材はレアメタル(希少鋼材)に数えられ、加えることにより鋼材の値段は高くなります。
またそういった素材の添加により摩耗に強くなり、これは切れ味を長続きさせる要素にもなりますが反面研石がかかりにくいことにもなってしまうわけです。
なぜ「ステンレス包丁は切れない」と言われているのか
30-40年ほど前、ステンレス包丁は、AUS-6や420-J2など、炭素の含有量が0.6%程度の鋼材が主流でした。
炭素の含有量と硬度はほぼ比例するため、当時から使われていたSK材(炭素含有0.9-1%)や白紙2号(1.05-1.15%)に比較するとどうしても切れ味は劣っていました。
とはいえやはり錆びのケアをしなくて良いステンレス鋼は魅力。
そんな中当時の当店店長(今も店長です)が40年前に各工場に声を掛けて発売したのがG-Lineシリーズ(VG-1鋼・炭素含有0.95-1.05%)です。
声を掛けた工場は初めてこの包丁の製作を始める際、1000丁近く作った最初のロットは硬すぎてすべて割れてしまったそうです。
焼入れ、歪取り、刃付けの工程をすべて見直しやっとの思いで完成したG-Lineシリーズは当時のお客様にも受け入れられ、令和になった今も愛されるロングセラー包丁になりました。
今でこそたくさんの包丁メーカーが取り扱うようになったハイカーボンステンレス鋼材ですが、それまではステンレス=切れない包丁、だったのです。
ステンレス包丁の値段の差はどう生まれるの?
ステンレス鋼材は、モリブデン、バナジウム、タングステン、コバルトなどレアメタルに分類される成分を含有しているため、鋼の材料に比較し鋼材の段階で高くなります。
また焼入れにこだわる、全鋼素材で作るもしくはダマスカスや鏡面など加工にこだわる、職人の手で砥石に当てる、口金を溶接する、高級なハンドル材を使用するといった要素で値段は上がって行きます。
それぞれの成分が鋼材のどういった実力に影響するか、というのを簡単にまとめたものになります。深く鋼材を知りたい方はどうぞ(こちらもかなり簡略化しており、製造過程で影響度は大きく変わります。)
炭素(C) | ケイ素(Si) | コバルト(Co) | リン (P) | 硫黄(S) | マンガン(Mn) | モリブデン(Mo) | バナジウム(V) | ニッケル(Ni) | タングステン(W) | 銅(Cu) | クロム(Cr) | |
要素 | 硬度 | 硬度 (Cの1/10) 酸素を除去 | 脱炭防止 | 脆化 | 脆化 | 硫黄を除去 靭性 焼入性 | 耐磨 耐食 靭性 | 耐磨 脱炭防止 | 靭性 | 耐磨 | 抗菌 脆化 | 耐食 |
実際には鋼材自体の精製工程、製品化するまでの焼入れ工程もかなり変化しますし、下記の図でも簡略化されていますし、しかし、鋼材自体の性格はその成分比率で傾向が表れます。
ステンレス包丁を選ぶにあたって注意したい謳い文句
「医療用メスにも使われる素材です」
医療用メスは包丁用のステンレスの中では中級以下の鋼材にあたるものも多くあります。医療用メスにおいて大切なのは「衛生的」「錆びにくい」ことであり、料理用の包丁に求められる「切れ味が長く続く」「研ぎやすい」ことではありません。そもそも医療用メスは使い捨てのものも多いです。
「ハイカーボンステンレス鋼/イノックス(INOX)鋼/モリブデン鋼/モリブデンバナジウム鋼」
実は正式な鋼材名では無い点に注意したいです。なぜこんなふうに呼ばれるかは、ステンレス包丁が切れないと思われた経緯に起因します。高硬度のステンレスがない時代、「ステンレス鋼=切れない包丁の代名詞」という使われ方をしていたこともありました。銀三鋼やモリブデンを含んだ当時の高級ステンレスを売り出す際、イメージを一新したいメーカーが上記の名前を採用しました。上記の鋼材名を採用した包丁の実際の鋼材は刃物用ステンレス鋼材としては中級にランクされるAUS-8が多いと思います(各メーカー正式鋼材名は公表をしていない上、決して鋼材名だけで包丁の実力は決まらないのでご留意下さいませ。)切れ味もありながら、研ぎやすくリーズナブルな鋼材で今でも愛されていることに疑いはありません。
ステンレス鋼材の成分の違い
引用元:Knife Steel Composition Datavase
各メーカー、上限値、下限値を設定していたり、鋼材によっては成分を非公開にしており、あくまで公式値では無い点にご注意ください。
また、大切なことは何度でも書きますが「鋼材=包丁の実力」ではありません。
あくまで「参考値」としてご覧頂ければと思います。
鋼材ごとの特性マッピング
鋼材と特性について、マッピングした図がこちらになります。
※非常に大切なことなので何度も書きますが、工程で鋼材の実力は変わります。
例えば銀三鋼は成分が非常に鋼と似ており、熱して叩くことで鋼のように組織が強靭になります。
工程次第ではVG-10などランク的には高級に属する鋼材と遜色無い実力になるわけです。
それぞれの鋼材を使用した包丁、それぞれの鋼材の解説はこちらからどうぞ
鋼材を使った包丁 | 鋼材の詳しい解説 |
モリブデン鋼を使った包丁 | モリブデン鋼の詳しい解説 |
コバルト鋼/VG10/V金10号を使った包丁 | コバルト鋼/VG10/V金10号鋼の詳しい解説 |
ZA-18鋼を使った包丁 | ZA-18鋼の詳しい解説 |
粉末ハイス鋼/SG2/R2を使った包丁 | 粉末ハイス鋼/SG2/R2の詳しい解説 |
AUS-8鋼/8A鋼を使った包丁 | AUS-8鋼/8A鋼の詳しい解説 |
スウェーデンステンレス鋼を使った包丁 | スウェーデンステンレス鋼の詳しい解説 |
銀三鋼を使った包丁 | 銀三鋼の詳しい解説 |
V金1号/VG-1鋼/AUS-10鋼を使った包丁 | V金1号/VG-1鋼/AUS-10鋼の詳しい解説 |
コアレス鋼を使った包丁 | コアレス鋼の詳しい解説 |
著者紹介About the author
堺一文字光秀
田中諒
「切れ味で、つなぐ」堺一文字光秀三代目当主。 職人の技術と歴史、そして包丁にかける思いを皆様に届けて参ります。 辻調理師専門学校 非常勤講師 朝日新聞社 ツギノジダイ ライター
- 監修
- 一文字厨器株式会社(堺一文字光秀)